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  • 執筆者の写真Lumina

母の思い出 夏至と天丼

更新日:2020年6月20日







昨日は亡くなった母の誕生日。

通りすがりの花屋さんで目に留まった黄色のバラを買う。


 


母に会わなくなってからも母の誕生日は

黄色のバラを部屋に飾り、密かにお祝いしていた。


母はわたしから見た印象では黄色とかオレンジな人だった。




ヒョウ柄好きだったからか?



母の魂のチャートは太陽さそり座。


母がスナック勤めだったときの写真を見ると

それはマジェンタ・・・

そう、夜のオンナを思わせる雰囲気が漂っている。


化粧をした母はしゃべらなければ

さそり座っぽい神秘的な雰囲気のある人だった。


それが地上ふたご座おしゃべりマジックにかかると

悲劇が喜劇になるような

深海からひきあげた生き物が地上に来たら

なんの生き物だったのかわからなくなるような

そんな不思議な空気感に満ちていたと思う。


それは、ある種の希望を感じさせる。


悲劇を喜劇に変えることばの威力を持っていた。

そんな母の話術は多くの人を魅了した。

  


そういえば母は「さそり座のおんな」を

歌っていた美川憲一さんの大ファンだった。

あれは、天の母が好きだったのだなあ。

ちなみに美川憲一さんはおうし座だった。



母は夏至近くに生まれたのだとあらためて感じ入る。

夏至近くの生まれは愛情深い人。


 


母の好きな天丼を食べようと

天丼を食べることのできるお店に入った。


 


天丼を食べ始めてから、

母が付き合っていた男性のことを思い出す。

母は常々複数の男性とつきあっていたのだけど

わたしの知る限り、30年は母の面倒を見ていた男性がひとりいた。

父はそのことを容認していた。


こどものころ、母に連れられてよくその男性と食事をした。

お金をくれる人だから、アンタも挨拶しておきなさいと。

感じのよい人だった。


その日はいつも天丼だった。


母はその人から何度も結婚しようと

言われていたことは聞いていた。

母のことを一途に愛していた人だったと思う。

財産もあった人だった。

それでも、母はYESとは言わなかった。

わたしが結婚して家を出て母は一人暮らしになっても

その人と暮らすことはなかった。

どの男性も家に入ることをゆるさなかった。

 


天丼を食べながら、わたしはこころの中で母に質問した。

「なぜ結婚しなかったの?」

すると、わたしの眼から大量の涙があふれ始めた。


 

うわ~~なんだなんだ。

どうして涙が出るんだ?

母が泣いている?


 

幸いお店はウイルス対策で

テーブルとテーブルの間に仕切りがあり、

ほかの人からわたしの様子は見えない。


 

あふれ出る涙をそっとハンカチで押さえ

鼻水をすすりながら天丼を食べる。

嗚咽しそうなぐらいこみあげてくる。


早急に天丼をおなかにおさめ、

黄色いバラを持って店を出る。


 


外は、梅雨らしい雨降り。

いつからか傘をさす大人になった。


 


夏至。


太陽黄経90度。まっすぐに降り注ぐ太陽の力と梅雨の雨。


火と水の天意が降り注ぐ。


夏至のころに生まれた人は

それらを受け止める情熱と愛情深さ、気高さがある。



梅雨空にも誇り高く咲くバラの花のようにも思う。



いつか、涙の意味がわかる日が来るのだろうか。

いや、もう、わかろうとしなくていいじゃないか。



ただ、そうだった。





おかあさん、

誕生日おめでとう。


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