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  • 執筆者の写真Lumina

2019年。

連絡を取ることをやめていた両親に会いに行った。



ふっと。

ある日、突然。

会いに行こうと思った。



わたしの中でこだわっていた何かが

剥がれ落ちたのか。



かさぶたがとれるように。

 

 


7年ぶりに会った父は

「今、お母さんのところへいってきて帰ってきたところだ。」

と話す。

 


久しぶりだなとか

どうしてたんだとか

そういう言葉はない。



まるで、一週間前にもあったような空気感で

ただ、今日のことをいつも通りに話す。



母の悪態について

すこし笑いながら

いつもどおり話す。

 


もうすぐ90歳になる年だけど

そんな年齢を感じさせない若々しさと

おしゃれで清潔感のある装い。



その父の在り方は

7年の年月がまるでなかったように感じさせてくれた。





父は昔からそうだったと思う。



わたしが自殺未遂をしたとき、

警察に補導された時、

裁判所にいくときも。


ただただ、いつもどおり。

 


そのことに対して

「どうして」とか「なんてことしたんだ」みたいな

そういうことを言ったことがない。


かといって、なぐさめる共感するというような

そういうこともなく。


ただただ、いつもどおり。



何もなかったように

いつもどおり。





そして、いつもどおり

「じゃあ、またな」と。



とくに別れを惜しむわけでもなく。




何があっても

いつもどおり。




そのことをことばにしようとすると

なんだか陳腐になるけど

究極の許しだなと思う。





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