• Lumina

大きな時間の終わり

2020年を迎える前、

”大きな時間”が終わった。


2018年それを予感し、

2019年「形」に残す

総まとめの計画を立て、こなしていった。



急速に「種」になって

手のひらから零れ落ちていく。


そのスピードは

想像を超える早さで。




一日一生。


わたしの一日は

まるで一生分であるかのように感じた。


朝生まれ、夜死んでいく。



一日の中でできることの少なさ。

止めることのできない「時間」の流れ。



人生には、こうして

「時間」が移り変わっていくときがある。


それに逆らう間もない。

その中でできる限られたことに集中する。


強烈に「死」に向かうことが起こる。

それは、最後の生命力を爆発させる。


やり残した「感情」を経験し

終わりを迎える。




わたしたちが創造性を発揮するとき

そこにはたくさんの「時間」がある。

それは、「空間」と言ってもいい。


わたしたちは、この「時空」を旅する旅人だ。




この人生、そしてルミナとともに生きた7年は

たくさんの「畑」を生み出したと思う。



その「畑」は星や月、宇宙の巡りと

太陽、風、雨、出会った人々とともに育った。

それぞれの畑に花々が花を開き、実を結んだ。


その実を多くの人と分かち合う。



この景色を見て思うこと。


それは、望んだ景色だったのだろうか?

わたしは、何かを目指してここに来たわけじゃない。

この景色を望んでいたわけでもない。

 

もし、言葉にするとすれば

やってきたことを引き受けてきただけだと思う。

 


でも、きっとこれが

わたしの魂の望みだったのだろうと思う。


この景色も

旅の途中で味わう感情も。



そして、この望みは自分だけのものじゃないようにも

感じていた。


このいのちに付随するたくさんの「願い」。

見えないご先祖様のような存在の願いがあるように

感じていた。


自分だけの力だったら

この景色をみることはできなかった。


わたしは確実に

現実をともにしてくれた人たちはもちろん、

たくさんの存在とともに

この畑を受け継いで耕してきたのだと思う。


わたしが経験した時間に

はかりしれない数の経験と知恵がある。


そこに付随するたくさんの感情も

わたしの肉体を通じて味わった。



この”わたし”という存在は、そんな数多くの

「いのり」でできている。


そうとしか思えない。






人に任せることができるようになった畑には

それを受け継いでくれる人が現れるようになった。


畑のバトンを渡すところまで。

とにかくそこまでこのバトンを持って走る。


「時間」が迫る。

最期、足元がフラフラになりながら

バトンを渡す。


とうてい、美しく渡せたとは言えないけれど

受け取る人が上手に受け取ってくれた。




個展は、生前葬のようなものだった。



そして、わたしは大きな時間を終え、

「死」の旅に出る。


2019年さそり座新月。




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